社員教育『期待される管理者』

皆さんこんにちは!『寺子屋ラッキー』と申します。職場生活で多少なりともお役に立つと思える事柄を、人を中心に申し上げていきます。よろしければお付き合いください。

『社員教育』 (66) 「あなたが40歳を過ぎたら ご自分の顔に責任を持てますか?」

ID:8559fx


  おはようございます。


 アメリカ第16代大統領リンカンが大統領に就任した折、閣僚人選中のリンカンに側近が「閣下、この人物を加えてはいかがでしょう?」と進言した。「会った上で考えよう」とリンカンは答えた。
 そこで側近が早速その男をリンカンに引き合わせた。翌日「閣下、昨日の人物はいかがでしたでしょうか?」と訊きに行ったところ「顔がだめだね」と答えた。側近が「お言葉を返すようですが、顔は両親の遺伝であって本人の責任とは思えませんが、なぜでしょう?」と訊き返した。


 「ウン確かにそうだ。しかし君ね、人は40歳になったら自分の顔に責任を持つことが大切なことだと、日頃から私は考えている。その点残念ながらあの人には感じられなかった。無論のこと私の右腕である君の目を疑っている訳ではないが、期待に応えられず済まない」といったニュアンスの話が残っている。
 ただし、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人のかかわりが解明されてきている現在でも一年前の大切な事が公の場で思い出せないと発言する人がいるご時世、このエピソードの真実は分かりません。


 人は誰しも成人し社会人として40歳になるまでには様々な人生経験を踏みます。成功することもあれば失敗することもある。いずれにしろ苦労を乗り越えてくれば内面的態度(心の構え)が外面的態度に表れるように、様々な経験が長年かかってできる年輪のようにおのずと顔に刻み込まれる。しかし、本当に苦しんでいないと、40歳になっても味のある表情が形成されない。
 つまり、奴隷解放の父となったリンカンが言いたかったことは、「他人の痛みが分かる顔を持て」ということだったのでしょう。


 仮にそうであれば、痛手というのは外傷です。血が出ます。包帯を巻いていても血が滲んでいれば他人が見ても分かります。その点痛みは心の傷です。刃物での刺し傷と違い『言葉』での心の痛みは 本人以外には分かりません。


 そこでSNSのご時世、エイブラハム・リンカンの言葉『人は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て』の意味するところをあなた(貴方・貴女)なりにお考え頂ければと思います。
 では、今日も一日お元気で。ありがとうございました。



❒ 社員教育講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼」)