『ブログ 社員教育講師』

皆さんこんにちは!『寺子屋ラッキー』と申します。職場生活で多少なりともお役に立つと思える事柄を、人を中心に申し上げていきます。よろしければお付き合いください。

『社員教育』 (76) 「人は自己への敬語の使われ方には 神経質な生き物」 (その4)

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 おはようございます。


 さて、口語文法で教わった敬称としての『一人称』は「私(わたし・わたくし)」であり、私的場面あるいは芸能人を除いて人前での〝僕(ぼく)・あたし〟は不快感はないものの間違えた使い方です。幼い印象を受けることもあります。同じく自身を〝自分〟が口癖になっている人もいますが、軍隊ではありません。一定の業態を除いてこれもできれば治した方がいいでしょう。 
 また、人前で自身の親を「お父さん・お母さん」とはよく聞く言葉だが誤使用であり、「父・母」が正しい。


 二人称の使い分けも大事です。たとえば、年配の女性の中でお客様に「おたく」と言う人がいた。「お前」、「貴様」と同じく現在は敬称ではありません。失礼な言い方です。そのため、根拠を示し注意しても言葉癖です。直ぐに治るものではありません。そのため相手から嫌われても致し方ありません。根気よく注意を〝繰り返す〟ことになる。
 さらに上司のお供をして得意先など社外へ出向くことを想定すると、『二人称』、『三人称』の使い方が一層難しくなります。


 普通職場では敬語としての敬称に、後輩は先輩を「さん付け」し、先輩は後輩を「さん付け」または「君(くん)付け」あるいは「呼び捨て」することが多いものです。
 その一例としてよく古参社員の中には、入社年次が同期以下あるいは年が上でもかつて同僚として仕事を一緒にした上司を、当人がいないところでは「君(くん)付け」しているのを見かけることは決して珍しくありません。


―  早いもので御社にお取引願っておかげ様で10年が過ぎましたが、最初の当社担当だった佐藤主任には大変お世話になりました。お元気でご活躍でしょうか? ―


「あぁ佐藤をご存知でしたか。今は福岡支店長をしていますが、コロナ禍で苦労していることでしょう。佐藤が入社し配属されたのが私の職場でしてネ。仕事熱心な男で教え甲斐がありました。そうしたこともあり、本社で支店長会議がある時は顔を出してくれるので時間があれば飲みに誘っています。このご時世を考えると人の上に立つのも大変であり、その点私は助かっています。イヤッつまらんことを申しまして失礼しました」。


 呼称の使い方が「自己顕示欲」の表われと思えることがある。これについての「さん・君(くん)事件」(当方の造語)を紹介し、まとめに入ります。


 かつて、今ほど容易に転職できなかった頃、ある会社へAさんが中途採用された。配属された職場は係長以下八人のメンバーから構成されていたが、古参のB主任を除き全てが年齢的には年下であった。
 入社歴の古い同僚達は当初Aさんを「君(くん)付け」で呼んでいた。やがてAさんは実績を認められその職場の係長として抜擢された。そのため今までの仲間はAさんの部下となり、誰もがAさんを「係長」と呼ぶようになった。ただし、上司となったAさんに対しBだけは例外であった。


 他の部下達の手前もありAさんは恥を忍んで、Bに「就業時間中」だけでも職位名(係長)で呼んでくれるよう頼んだ。が、Bは頑(かたく)なに拒み〝君(クン)付け〟を続けた。 
 そのためこれが元でAとBとの間にいさかいが絶えず、結局肩書きを無視されプライドを傷つけられたAは帰宅時Bを刃物で殺傷するという最悪の結果を招いた。サラリーマンの性(サガ)だけでは片づけられない嫌な出来事であり、今もって忘れられません。


 その後も同様な事件があった。週末の休日に出勤したサラリーマンが退社後部下と酒を飲んだ。上司が部下の「口のきき方」が要因とも思われることで店を出てから後路上で部下に手を上げ死にいたらしめたと、テレビニュースの最後でごく簡単に伝えていたことがある。2~3年前の12月にも同様のことが報じられた。


 無論の事全て事情は分からないがおそらく『言葉』が引き金であり、言った方は忘れても言われた方は忘れないこともあり「真の要因」は根深いものがあったように思えます。


 『一つのコトバで喧嘩して
  一つのコトバで仲直り
  一つのコトバにお辞儀して
  一つのコトバに泣かされた
  一つのコトバはそれぞれに
  一つの心を持っている』 (本来の出典不明)


 リンカンの逸話の中でも申し上げた通り、「刃物での刺し傷は血が出るので分かるが、言葉による心の傷は血が出ないので分からない」ため厄介です。



 でも、どうなんでしょう? <気遣い>と<気配り>とは違います。人間は『自尊心の塊』の生き物です。デリケートなのは思春期の子供だけのことではありません。
 『親しき中にも礼儀あり』と言います。親しくなっても馴れ馴れしくならないよう気を付けることは大切なことです。相手を不快にさせない敬語を含む言葉への気配り(心配り)は、在宅勤務が日常化した現在、家庭での「コロナ離婚」を防止するためにも意識したいことです。


 では、<人間関係>の〝潤滑油〟とも言える『敬語の働き』について「寺子屋ラッキー」としてはここまでとします。4回に亘りお読み頂きありがとうございました。



❒ 社員教育講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼ 」)