『ブログ 社員教育講師』

皆さんこんにちは!『寺子屋ラッキー』と申します。職場生活で多少なりともお役に立つと思える事柄を、人を中心に申し上げていきます。よろしければお付き合いください。

『社員教育』 (80) 「仕事を進めるに当たっての 科学的態度とは」 (その1)

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 こんにちは。


 古来日本には『段取り八分の仕上げ二分』という言葉があります。どんな仕事でも先ずは
キチンと計画を立てる。次にはその計画に基づいて実行する。計画どおり仕事が完遂したら
そのままで終わらせてはまずいのです。それは実施をしたら後を必ず検討するというステップがないからです。


 ところで、あなたは「ビジネスサイクル(PDCA)」という用語をお聞きになったことがおありですか? 
 ここでは最近になって遊びにきていただいている、特に若年層の方にもご理解いただけ
るよう「PDC(PDS)の原則」として簡単にお話します。


 これはプラン(PLAN)・ドゥ(DO)およびチェック(CHECK)または反省(SEE)を略したもので、計画、実施、反省(検討)という言葉の意味です。これに是正処置(ACTION)を加えて「管理のサイクル(PDCA)」あるいは「マネジメントサイクル(PDCA)」ともよんでいます。詳細は「経営学」などの専門書で学習なさって下さい。
 よくここでのサイクルを「サークル」と言っているのを聞くことがありますが、おそらく「サークル活動」のサークルと混同しているのでしょう。


 社員が自分に与えられた仕事を成し遂げるとき、これを活用すると仕事が上手くいきやすいということで、よく使われているものです。
 御社の社長さんだけでなく幹部の部課長さんも、「マネジメントサイクル(PDCA)」としてマネジメント活動に活用なさっていることでしょう。


 仕事の手順は、会社や上司の方針を基に考えるものです。また、仕事の実施面ではそれが終われば「イヤー業務計画の懸案事項がこれでやっと終わった。みんなご苦労さんだったナ。先ずはめでたし!めでたしだ! いいかみんな、この調子で次の仕事にかかってくれ。頼んだぞ ‼ 」という態度で済ませないことです。
 結果については「良くも悪くも」十分に検討し反省することが大切なことです。そうでないと<十年一日の如し>という仕事ぶりになり、進歩も成長もなくなってしまいます。


 「当たり前のこと」だと言えば、確かに当たり前のことです。ところが社員の中にはこの原則に従っていない人がいます。
 例えば、計画も立てないでいきなり仕事を始める。やり方もいい加減なら実施しても〝や
りっぱなし〟で、一向に各ステップの検討をしないという『態度』です。


 どのような仕事でも先ずはきちんと計画を立てる。次にその計画に基づき実行する。実施をしたら後を必ず検討する。必要があれば「是正処置(ACTION)」を取り次の計画に活かすというステップを踏むことです。
 広い意味でのビジネスパーソンを含むどのような世界でもその道でのプロと言われる人がいます。そうした人ほどここでの一連の「プロセス」を重視し、人知れず努力している姿勢を多少でも見習いたいものです。(続く)


 今年は社内外での新年会のお付き合いは少ないでしょうが、お得意先への年始挨拶回りあるいは残業なさる方はお疲れ様です。退社後は足元に気を付けてご帰宅下さい。ありがとうございました。



❒ 社員教育講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼」)


『社員教育』 (76) 「人は自己への敬語の使われ方には 神経質な生き物」 (その4)

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 おはようございます。


 さて、口語文法で教わった敬称としての『一人称』は「私(わたし・わたくし)」であり、私的場面あるいは芸能人を除いて人前での〝僕(ぼく)・あたし〟は不快感はないものの間違えた使い方です。幼い印象を受けることもあります。同じく自身を〝自分〟が口癖になっている人もいますが、軍隊ではありません。一定の業態を除いてこれもできれば治した方がいいでしょう。 
 また、人前で自身の親を「お父さん・お母さん」とはよく聞く言葉だが誤使用であり、「父・母」が正しい。


 二人称の使い分けも大事です。たとえば、年配の女性の中でお客様に「おたく」と言う人がいた。「お前」、「貴様」と同じく現在は敬称ではありません。失礼な言い方です。そのため、根拠を示し注意しても言葉癖です。直ぐに治るものではありません。そのため相手から嫌われても致し方ありません。根気よく注意を〝繰り返す〟ことになる。
 さらに上司のお供をして得意先など社外へ出向くことを想定すると、『二人称』、『三人称』の使い方が一層難しくなります。


 普通職場では敬語としての敬称に、後輩は先輩を「さん付け」し、先輩は後輩を「さん付け」または「君(くん)付け」あるいは「呼び捨て」することが多いものです。
 その一例としてよく古参社員の中には、入社年次が同期以下あるいは年が上でもかつて同僚として仕事を一緒にした上司を、当人がいないところでは「君(くん)付け」しているのを見かけることは決して珍しくありません。


―  早いもので御社にお取引願っておかげ様で10年が過ぎましたが、最初の当社担当だった佐藤主任には大変お世話になりました。お元気でご活躍でしょうか? ―


「あぁ佐藤をご存知でしたか。今は福岡支店長をしていますが、コロナ禍で苦労していることでしょう。佐藤が入社し配属されたのが私の職場でしてネ。仕事熱心な男で教え甲斐がありました。そうしたこともあり、本社で支店長会議がある時は顔を出してくれるので時間があれば飲みに誘っています。このご時世を考えると人の上に立つのも大変であり、その点私は助かっています。イヤッつまらんことを申しまして失礼しました」。


 呼称の使い方が「自己顕示欲」の表われと思えることがある。これについての「さん・君(くん)事件」(当方の造語)を紹介し、まとめに入ります。


 かつて、今ほど容易に転職できなかった頃、ある会社へAさんが中途採用された。配属された職場は係長以下八人のメンバーから構成されていたが、古参のB主任を除き全てが年齢的には年下であった。
 入社歴の古い同僚達は当初Aさんを「君(くん)付け」で呼んでいた。やがてAさんは実績を認められその職場の係長として抜擢された。そのため今までの仲間はAさんの部下となり、誰もがAさんを「係長」と呼ぶようになった。ただし、上司となったAさんに対しBだけは例外であった。


 他の部下達の手前もありAさんは恥を忍んで、Bに「就業時間中」だけでも職位名(係長)で呼んでくれるよう頼んだ。が、Bは頑(かたく)なに拒み〝君(クン)付け〟を続けた。 
 そのためこれが元でAとBとの間にいさかいが絶えず、結局肩書きを無視されプライドを傷つけられたAは帰宅時Bを刃物で殺傷するという最悪の結果を招いた。サラリーマンの性(サガ)だけでは片づけられない嫌な出来事であり、今もって忘れられません。


 その後も同様な事件があった。週末の休日に出勤したサラリーマンが退社後部下と酒を飲んだ。上司が部下の「口のきき方」が要因とも思われることで店を出てから後路上で部下に手を上げ死にいたらしめたと、テレビニュースの最後でごく簡単に伝えていたことがある。2~3年前の12月にも同様のことが報じられた。


 無論の事全て事情は分からないがおそらく『言葉』が引き金であり、言った方は忘れても言われた方は忘れないこともあり「真の要因」は根深いものがあったように思えます。


 『一つのコトバで喧嘩して
  一つのコトバで仲直り
  一つのコトバにお辞儀して
  一つのコトバに泣かされた
  一つのコトバはそれぞれに
  一つの心を持っている』 (本来の出典不明)


 リンカンの逸話の中でも申し上げた通り、「刃物での刺し傷は血が出るので分かるが、言葉による心の傷は血が出ないので分からない」ため厄介です。



 でも、どうなんでしょう? <気遣い>と<気配り>とは違います。人間は『自尊心の塊』の生き物です。デリケートなのは思春期の子供だけのことではありません。
 『親しき中にも礼儀あり』と言います。親しくなっても馴れ馴れしくならないよう気を付けることは大切なことです。相手を不快にさせない敬語を含む言葉への気配り(心配り)は、在宅勤務が日常化した現在、家庭での「コロナ離婚」を防止するためにも意識したいことです。


 では、<人間関係>の〝潤滑油〟とも言える『敬語の働き』について「寺子屋ラッキー」としてはここまでとします。4回に亘りお読み頂きありがとうございました。



❒ 社員教育講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼ 」)


『社員教育』 (69) 「人は誰しも 建前と本音の狭間で 生きている」

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 こんにちは。コロナの終息は中々先が見えませんが、インフルエンザの予防接種はお済ですか?


 さて、あなたは靴を履くときに左右どちらからですか。家を出る時はどちらの足からでしょう? おそらく上着を着る時と同じく無意識のうちに習慣化していることと思えます。
 マネジメントの仕方だけでなく、大勢を前にした話し方での態度(表情・姿勢・動作)に見られるようにどなたにも癖があります。それだけに「悪癖」を治すとなると注意されないと簡単にはいきません。とにかく、何事も意識しないと分からないものです。


 例えば、あなたのお宅には時刻の分かる類の物が幾つあるか訊かれて即答できますか? 
 時計だけでなく、パソコン右下に時刻表示されると同じくテレビ・電子レンジなどの家電製品にも表示される。そのためトイレだけでなく浴室内でも時刻は分かる。
 もしもオークションに入札し入浴したとしても、終了時刻前に余裕をもって風呂から上がり楽しみを継続することができる。二度と戻らない時間は有効に使いたいものです。


 次の話は、家庭への掛け時計が普及し始めた明治時代中期以降のことです。
 『坊ちゃん』で夙(つと)に知られる、現在の都内文京区にあった夏目漱石の居宅へ知人が訪ねて来た。漱石が歓待したこともあり話が弾み、居心地が良くなった客はついつい長居していた。
 その間、お手伝いさんは酒・料理を運び水菓子・茶も出し終えていた。テレビはおろかラジオも無い当時のことである。いつご主人から呼ばれるか分からない。
 日本全体が貧しかった頃の寒村から上京したが〝ご主人〟に恵まれた。三食付きの部屋付きで、世間相場より高いお給金を毎月キチンと頂ける身である。与えられた部屋へ戻って休んだら罰が当たる。
 薄暗い台所で小さな卓袱台(ちゃぶだい)に両肘をついて居眠りを堪(こら)えていた。時折り楽しそうな笑い声が漏れてきたが、話の内容より正直客が帰るのをひたすら待っていた。


 酒・料理だけでなく漱石との話にも〝満足〟した客がそろそろお暇(いとま)しようと腰を上げ、漱石に時間を聞いた。漱石が奥の部屋から「お~いお花! 今何時かな?」と大きな声でお手伝いさんに訊いた。今や遅しと待ち受けていた彼女は「ハ~イ もう12時で~す!」とこれまた大きな声で返事した。


 来客を送り出した後、漱石は直ぐにお手伝いさんを居間へ呼んだ。
「今日は遅くまでご苦労だった。だけどな、さっき私がお前に時間を訊いた時、『もう12時です』と言ったよな。あれではいけないね。お客さんには追い立てられるように聞こえ失礼なんだよ。せっかく料理でもてなしたお前の努力が無駄になる。
 ああいう場合はネ、『未だ12時です』と言うもんだよ。若いが利口なお花のことだ。今後気を付けなさい。
 疲れただろう? さーッ風呂へ入って寝なさい。明日からも頼んだよ」と、優しく教え諭したと思える話が残っている。


 注意の仕方に犬猫の躾(しつけ)を例えに出すのが相応しいとは思えない。しかし、その場その時を捉えタイミング良くお手伝いさんへ注意した漱石のやり方は、OJTの考え方に叶っているといえるでしょう。


 その後も何か気が付くと漱石はこまめに彼女を指導した。教えを受けたお手伝いさんは当時のことである。尋常小学校へ行ったことは全くなかった。それでも数年後お暇(いとま)を頂く時には高等女学校卒に負けないだけの『教養』が身に付き幸せな結婚生活を送ったと、戦後芥川賞にノミネートされ太宰治と交友があったという恩師からお聞きした覚えがある。(以下「話し方研修」に移し続く)


 では、土・日は二カ月ぶりに晴れ間が覗くようです。秋空のもと紅葉狩りなどで良い週末をお過ごし下さい。情報洪水の中をお越し頂きありがとうございました。



❒ 社員教育講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼」)


『話し方教育』 (55) 「餅は 餅屋」

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 今晩は。外交日程を終えた菅総理一行は無事帰国の途に就いたとのことです。
 今日の菅総理大臣の話を伺い、その速さは聞きやすくマスクを外した表情に不快な感じは受けませんでした。
 ただ欲を言えば、目線がどうしても下(原稿?)にいくのは致し方ない事でしょう。その点先日取り上げたケネディ大統領の演説と比較すると、聞き手への訴求力が抑揚を含め弱い印象を受けました。


 原稿内容は総理の考え方に基づき担当部署の課長補佐以下のベテラン官僚がおそらく連日残業して作成した原案を、これまた課長以上の各階層の上級管理者が念入りにチェックしたことでしょう。最終原稿(案)を総理が渡航前に最終チェックするまで関連部署の関係者を含め何人の校閲者がいるかまでは、部外者には分かりません。
 「余計な心配 大きなお世話」と一喝されそうですが、とにかく無事終わったことで〝目出度し 目出度し〟であり、原稿作成に関わった方々には「お疲れ様でした」と慰労の言葉をお伝えしたいものです。
 何故このようなことを申し上げているかは、決してふざけている訳でもなければ酔っている訳でもありません。至極真面目な気持ちです。それは次の話が思い出されるからです。


 かつて旧帝大(現東大)法学部在学中、高等文官試験(現国家公務員総合職試験?)にパスしその文章力を買われ現東大卒業後、鳴り物入りで大蔵省(現財務省)に入省した青年がいた。国会答弁の原稿作成を任されたがビジネス文書の理想とも言える〝簡潔明瞭〟過ぎて誰が読んでも同じ解釈しかできなかった。そのため上司からはズタズタはオーバーにしても直され、とにかく答弁書としては不適格だったという話が残っている。
 当時の政治の世界は、どうとでもとれるような表現でなくてはいけなかったようです。その青年の名前は・・・・・小説家「三島由紀夫」です。 


 それとは別に国会答弁書については、「・・・ここで水差しの水を飲む」と書いてあったのでそのまま読み上げた議員の笑い話がある。仮にこれが事実だとすれば、そこまで気配りしたお役人を上司補佐に当たるビジネスマンは見習いたいと思ったものです。
 ですがこの笑い話は全くの創作でなく似たような話は静岡県の政界関係者にあったと、かつてマスコミ出身で故人となった名評論家からお聞きした覚えがあります。実際にはどうだったのでしょう? 今となっては真偽の程を確かめようがありません。興味本位のどうでもいいことですが・・・。


 今日は朝から航空業界の経営環境の厳しさをテーマとした番組が流れていましたが、これを裏打ちするように先程までのNHKニュースの中で報じていました。半年先を織り込んでいると言われる株式相場(日経平均株価)は今のところ堅調に推移していますが、コロナの時代どのような年末年始を迎えることになるかが心配です。
 明日の天気は雨のようですが、幸い寒さは緩(ゆる)いようです。では、またです。ありがとうございました。


【追 記】 ご多忙のところ、お立ち寄り頂き感謝します。当ブログは他サイトで開設当初の10年以上前から社員研修についての「管理の考え方」・「上手な話し方」などをはじめとする<考え方>は、混迷の時代とも言えるSNSのご時世でも未だ変わりありません。


 ブログはそもそもが<主義・主張>の場ではあっても、これまで申し上げた通り、人前でのスピーチと同じく『政治・宗教・思想』の三点を対象外としています。
 ただし、限られたスペースで<テーマ>をご理解いただくため身近な『話材』として取り上げることはあります。
 例え一方通行でもできるだけ教場の雰囲気で「問題提起」する進め方はこの先も変わりません。誤解頂きませんように、念のため。(寺子屋ラッキー)



❒ 話し方教育講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼」)


『管理者研修』 (97) (続)「世の中万事 塞翁が馬」

研修講師

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 こんにちは。合理化は後回しにして早速前回に続けます。


 『世の中万事 塞翁が馬』である。管理者は反省し次善の策を練ることは必要でも、〝タラ・レバ〟で「合理化」することはできれば避けたいものです。それでも仮にジョン・F・ケネディがソロモン沖で戦死あるいは大統領就任後にテキサス州ダラスで暗殺されなければ、「大西洋の危機」を含め良くも悪くも<世界の歴史>が変わっていたことでしょう。


 60年近く前の大統領就任時の演説は、日本語字幕版もあるyoutubeで手軽に見ることができます。大勢を前にして多くの聴衆を魅了する「スピーチの仕方」を〝意識〟して見れば言葉遣い・内容・構成は別として、これまで申し上げた、音声(音調・語調・調子)および態度(表情・姿勢・動作)の参考になると考えます。
 もしも演説するケネディ大統領の前に置かれた演台を退(ど)かせば外面的態度にはおそらく「癖(クセ)」があり、見る人が診れば「文章完成法」と同じく『性格』も含め分かることでしょう。


 数あるケネディ名言集の中に社員を対象に使えそうなものがあります。あなたのカラオケでの「持ち歌」と同じく社員向けスピーチの「ネタ」として〝結び〟に使えるのではないでしょうか。
 ご存知の方もおいでと思いますがご紹介します。国家を「会社」に、あなたを「社員」に読替えれば講話だけでなく新入社員を始めとする社内集合研修にも使えます。


『アメリカ国民の皆さん。国家があなたに何をなしうるかを問うのではなく、あなたが国家に何をなしうるかを考えよ』(ブログ用にやや意訳)


 でも、どうなんでしょう? かつての日本的経営の三本柱が崩壊した現在、法人企業260万社の中には社員の所属組織への帰属意識が希薄化している会社もあるでしょう。そうした企業風土では中高年社員はともかく、〝危機意識〟をはじめ『社員の意識革新』を図ることは無論のこと容易とは思えません。殊に全社的意識革新ともなると「経営コンサルタント」の範疇になることもあり、一朝一夕にはいかないでしょう。


 ただ、昔から『すまじきものは宮仕え』という。「忠誠心」が死語となり、加えて予期せぬ新型コロナの影響で日本経済が低迷していることもあり「管理者受難」とも言えるご時世です。「働き方改革」が問われる現状を勘案すると、特にインターネットの発展と共に育った若手・中堅社員に「ケネディの言葉」が、果たして通じるかどうかとなると甚(はなは)だ疑問です。


 『人を使うは苦を使う』と、経営の神様と呼ばれ「人使いの名人」とも言われた松下幸之助さんの言葉にもあります。とにもかくにも<上役・下役・ご同役>の皆さんお疲れ様です。


 話は変わりますが、SNSの時代、一回当たりのブログ投稿量は、文章のプロ中のプロが書く新聞コラムを見ても400字詰め原稿用紙で1~2枚に収めるのがマーケットインの姿勢に叶っていると考えます。況(いわん)や当方ブログの駄文をや・・・。
 故人となった杉村春子主演『女の一生』(森本薫の戯曲)の中に「・・・間違いと知ったら、自分で間違いないようにしなくちゃ」という台詞(せるふ)回しがあります。
 そのようなことから、テーマ(主題:中心思想)が分かりづらくなるだけでなく「長い話は嫌われる」ということで、昨日投稿したブログ記事のサブタイトル(表題)に若干手を加え別けることとしました。悪しからずご了承下さい。


 週明け早々「たかがブログ されどブログ」へ2回に亘りお付き合い頂きありがとうございました。では、失礼します。



❒ 管理者研修講師『人材教育研究所』 (「過去と未来は『鉄の扉』。変えられる未来に向かって挑戦しよう ‼」)